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戦没者を語る会
- 第1回「戦没者を語る会」(1次)(平成27年4月30日)
- 第1回「戦没者を語る会」(2次)(平成27年10月23日)世羅町遺族会
- 第2回「戦没者を語る会」(平成27年11月26日)
- 第3回「戦没者を語る会」(平成28年11月24日)
- 第4回「戦没者を語る会」(平成29年7月7日)福山市遺族会
- 第5回「戦没者を語る会」(平成29年11月28日)
- 第6回「戦没者を語る会」(平成30年9月12日)
- 第7回「戦没者を語る会」(平成30年11月19日)
- 第8回「戦没者を語る会」(平成31年4月19日)三次市遺族会連合会
- 第9回「戦没者を語る会」(令和元年8月30日)
- 第10回「戦没者を語る会」(令和元年12月9日)
- 第11回「戦没者を語る会」(令和3年3月24日)
- 第12回「戦没者を語る会」(令和4年6月27日)
講演会
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ミャンマー慰霊友好親善訪問に参加して
広島県・広島市遺族会のお世話により慰霊友好親善訪問する事が出来、遺児として貴重な体験をさせて頂き大変感謝しております。今度の日程は次の様に行われました。
*二〇〇五年十二月一日
午後一時から東京九段会館で説明会の後団結式があり、後靖国神社参拝をすませ夕食会(壮行会)が行われる。慰霊友好親善訪問団員八〇名、戦跡慰霊巡拝団員一九名、各団長添乗員を含め総勢百十一名でA・B・C・D・E班に分かれ、私はD班で二一名の遺児と一緒に巡拝。
*二〇〇五年十二月二日
成田空港よりバンコク経由でミャンマーの首都ヤンゴンに到着。夜七時過ぎホテルに着く。岡山の遺児の浦上さんと同室。
*二〇〇五年十二月三日
ヤンゴン空港から国内線でアキャブに昼過ぎに到着。ホテル近くのシワトウェイ海岸で五遺児(E班一名)の慰霊追悼を行う。
*二〇〇五年十二月四日
午前中日本遺族会が創ったバンドウダトウ小学校を慰問し、持参したノートや鉛筆を届け午後の国内線でヤンゴンに戻る。
*二〇〇五年十二月五日
早朝五時ホテル出発、国内線でマンダレー空港へ。そこからチャーター便でカレミョー空港へ行きトラックを改造した専用パスでカレワ迄ガタガタ道を行く。ここでは一五名の遺児の追悼式が行われ、同室の浦上さんも追悼され、夜遅くホテルに帰る。
*二〇〇五年十二月六日
レミョーからマンダレーに昼過ぎに着き、サガインヒル日本人墓地で私と平田さんの二人の遺児で追悼式が行われる。マンダレー市内で花や果物等を買って、日本から持参したお酒も供える。
*二〇〇五年十二月七日
午前中マンダレー周辺の日本人墓地の慰霊巡拝をし、午後ヤンゴンへ向かう。
*二〇〇五年十二月八日
ヤンゴンの日本人墓地で現地日本大使官の出席の上、五班合同の全戦没者の追悼式が行われる。その後ホテルで大使官ミャンマー教育者関係の方々と懇親会が開かれる。後夜空路バンコクへ向かう。
*二〇〇五年十二月九日
バンコク市内からパスでカンチャナブリの日本人墓地等の慰霊巡拝をする。
*二〇〇五年十二月十日
昼前にバンコク空港より成田空港へ。全員無事帰国、解団式を済ませ解散する。
今回の慰霊友好親善訪問に際して、日本遺族会の方々のおかげで、父の所属部隊や当時の戦地の行動記録等、父の戦死したであろう場所も知ることが出来ました。父はサガイン州のセジで戦死した様で、サガインヒル日本人墓地での巡拝となりました。ここでは私達二人だけの追悼式でしたが、二一名全員で祭壇を設営し、それぞれ皆日本から持参したお酒やタバコ・お菓子等供えてくださり、盛大に追悼式を行うことが出来ました。この大戦では、戦争末期には食糧も無く追撃する敵の爆撃を避けつつ、体力消耗の中疫病や病魔と戦いながらジャングルをさまよった事など、本で読んだ事が頭の中に浮かびました。追悼の後サガインヒル日本人墓地は陽が落ち始め、夕陽がとてもきれいでした。そこで私達全員で歌った「ふるさと」は皆涙がこみ上げ止まりませんでした。現在ミャンマーは軍事政権下ですが、ミャンマーの大戦(ピルマ)で遺児となられた人達に一人でも多くこの様な体験をさせてあげて欲しいと心より思います。また、ミャンマーの人達は日本人に対してとても温かく接してくれ、安心して行く事が出来ます。機会があればまた行きたいと思います。本当にありがとうございました。
広島市 八林
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