ロシアにおける遺骨収集作業

私達日本遺族会会員五名、厚生労働省職員三名、抑留経験者一名、JYMA二名、通訳一名の計十二名は、政府主催平成十八年度旧ソ連抑留中死亡者遺骨収集派遣団員として、平成十八年七月二十四日から八月八日までハバロフスク地方トゥムニン村にある第二収容所第五支部付属中央病院墓地に埋葬されている遺骨の収集に行って参りました。
現地まではハバロフスクから極東鉄道で二十一時間線路は白樺の林と湿地帯と低木の原野の中を真っ直ぐに伸びている。汽車は時々停まる、プラットホームは無いが駅らしい、周りに民家が数軒あるだけ。

トゥムニン村から埋葬地までは、四輪駆動のバスで未舗装の道十キロメートルを時々前後進を繰り返しながら一時間かけて走る。

バスを降りて線路の上を歩き、山に入り胸の辺りまである雑木を掻き分けて進むこと三十分、どの木にもみな棘があり服の上から容赦なく肌を突き刺す。埋葬地は密林の中にあり、物凄い数のブヨ、蚊、ダニ、蝿が襲いかかってくる。私達収集団員は養蜂業者のような防虫網を被り、腰に蚊取り線香を下げてさらに体全体に防虫スプレーを吹き付けて作業に掛かる。

墓地といっても日本のそれとは大きく違う。ロシア側から提供された墓地配置図は有るものの、白樺と雑木の密林の中にあって墓標も無く、いきなり行ったのでは位置が特定できない。

今回の私達の遺骨収集は、前年に調査隊が来てそれらしき所を何カ所か試掘して一・三メートルの地中に三柱の遺骨を見つけて、目印の棒を立てて帰ってきました。ここを起点として東西南北に繰り広げて行きました。先ず白樺の木をチェンソーで切り倒し雑木を刈り払い、パワーショベルで深さ一メートル程掘って行く。それから先は鍬とスコップを使って人力で掘って遺骨を捜します。
ロシア人作業者が掘って遺骨の一端が覗くと、私達と交代し熊手と移植鏝で遺骨を傷つけないように丁寧に、ひとかけらも残さないよう掘り出し収骨します。
毎日沢山の遺骨が収骨されました。一箇所に三体、五体と集団埋葬されているものや、中には柩に納まった遺骨もありました。
また針金で白樺の木の皮が腕に付けられた遺骨も有りました。
これは将来日本から迎えに来てくれる事を信じてその時この方が故郷に帰れるようにと、同僚が白樺の木の皮に名前を書いて腕に針金で結びつけて埋葬したのでしょう。六十年経って字は既に消えてしまって読めなくなっていました。
埋葬地の環境が良かったのでしょうか、どの遺骨もしっかりしていて傷みは殆どありませんでした。
遺骨が発掘された箇所には、目印の棒を立てて次に埋葬されている場所を想定して捜索する方向を決めます。遺骨は地下一・二メートルから一・八メートルの深さに埋葬されていました。
収骨するたびに頭がい骨を抱き締め撫でながら「辛かったでしょう迎えに来るのが遅くなってご免なさい、一緒に故郷に帰りましょうね。」自然とそんな言葉が出てきました。
ここに眠る方たちは、戦争が終わってから五十七万を超える同胞とともに抑留され、過酷な環境の中で強制労働に従事され、不幸にして異郷の地に倒れ亡くなられたのです。両親のこと、妻のこと、幼い子供や兄弟姉妹のこと、そして懐かしい故郷に思いを馳せ、どんなにか帰国される日を待ち望んでおられた事でしょう。この痛恨極まりない最後の心情を偲ぶとき涙が止まりません。
みんな若かったのでしょう、どの遺骨もみな歯が綺麗に揃っていました。
毎日収骨した遺骨は一柱ごとに記録を付けて遺骨袋に入れ、埋葬地に設置したテントの霊安所に納め作業期間中夜警をつけて保管しました。
ロシア側の資料ではこの墓地には、九十七名の方が埋葬されていることになっていましたが、私達が作業開始七日目にして百十七柱の遺骨が収骨されました。
百十七柱の遺骨は埋葬地に近い広場に掲げた日の丸の旗の下で近くの林から切り出した白樺の木の上に混在しないように一柱、ずつ間隔を置いて並べ、二日間かけて焼骨しました。
翌日同じ場所でロシア側来賓も出席され、現地追悼式が厳粛に行われました。知事では唯一、広島県知事から花輪が捧げられました。
現地での遺骨収集作業が全て終わり、晩餐会の席上現地の女性の副知事が「過去に悲しい出来事があったが、この遺骨収集事業で私達は一層親しい間柄になれた。私達は同じ地球人です、宇宙からみれば一つです。」と挨拶されたのが印象的でした。

この度の遺骨収集作業に従事してくれたロシア人作業者は、抑留者が死亡した時には未だ皆生まれてなかった人たちです。其の彼らが遺骨が日本に帰れるよう、一生懸命土を掘り汗を流して捜してくれたことがとても嬉しく、過去の関係が変わってきている事を実感しました。
八月七日、百十七柱の遺骨は私達収集団員の胸にしっかりと奉持され、六十数年ぶりに故国日本に帰ってきました。

しかしながら今回私達が収骨した埋葬地には、未だ多くの未収骨区画が残っております。これらの遺骨が奉還される日が一日も早い事を願って止みません。

呉市遺族連合会 石田

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